小さな頃に描いた夢を、ふと思い出した。

 

 

 

あの日の私は、今の私を見て何て言うのだろう・・・

 

 

 

世の中を何も知らなかったがゆえの自信と希望に満ち溢れていた頃の私は、

未来の栄光を確信し、溢れる愛を当たり前のように期待していた。

 

 

 

小さな手で一生懸命に作った牛乳パックの剣を握ってはヒーローになったみたいな気分になってワクワクしていた。

 

 

そして、未来の自分はヒーローになるのだと思っていた。

 

 

 

 

世界は平等と自由、希望に満ち溢れていると信じて疑わなかった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから長い時が経て、私は今の私になった。

 

 

 

 

残念ながら、今の私はヒーローではない。

 

 

 

 

そこまで出来た人間でもないし、未だにできないことの方が多い。

 

 

 

「何でこんなことすらできない、、、なぜ、あの人ような環境や幸運が自分にはないのだ・・・」などと思っては歯を食い縛ることの方が多かった。

 

 

 

でも、馬鹿なりに悩んで、無能なりに必死で努力して、不器用なりに頑張った結果が今の私なのだ。

 

 

 

 

 

そんな私を、あの日の私は何て言うのだろう・・・

 

 

 

 

 

 

忙しくて、不安で、思うようにいかないことの方が多かった道のりを進んできた私の心は泥臭く、傷だらけだ。

 

 

 

そして、自分の目で、自分の足で、自分の手で何とか生きてきた私は、

 

世の中には、不自由、不平等、絶望の方が満ち溢れている事実を受け止めるしかなかった。

 

 

凄くショックで、辛くて、気づいた時には油のような涙がジトジトと溢れ出ては私の視界を覆った。

 

 

 

そして、私は自由や平等、希望の存在そのものではなく、自由や希望を渇望し諦めないことにこそ意義があるのだと理解するようになった。

 

 

 

しかし、それは客観的に言えば、自由や平等、希望そのものの力を否定しているようなものなのだ。

 

 

 

 

そんな私を、あの日の私は何て言うのだろう・・・

 

 

 

 

 

 

しかし、私はこんな弱くて汚い自分も案外悪くはないと思っている。

 

 

 

なぜならば、戦うことを、希望を追いかけることを放棄した人間には見えない世界が私には見えているからだ。

 

 

 

本当に戦った人間、

 

本当に頑張った人間、

 

本当に泣き叫んだ人間には、

 

「理想」という名の猛毒で犯された世界ではなく、ありのままの世界と、ありのままの自分が見えてくる。

 

 

 

 

 

確かにその世界は汚れていて、つまらないかもしれない。

 

 

 

確かにその世界には物語のようなヒーローはいないかもしれない。

 

 

 

 

でも、、、

 

 

 

 

 

泥まみれになりながらも、人を笑顔にしているヒーローはいる。

 

 

 

汚い、下品だなどと言われながらも、
自分や家族のために頑張っているヒーローはいる。

 

 

 

絶望的な環境や現実に立ち向かい、必死で戦い続けるヒーローはいる。

 

 

 

そんな世界だからこそ、
美しいし、面白いのだと今の私は感じてしまうのだ。

 

 

 

 

そして、そんな世界に食らいついているカッコ悪い自分が最高に好きなのだ。

 

 

 

 

 

あの日の私は、そんな今の私を見て何て言うのだろう・・・

 

 

 

 

あの澄んだ大きな目で微笑んでくれるだろうか・・・・

 

 

 

 

そして、優しく微笑んでもらった時の私は、
涙を流さずにはいられるのだろうか・・・

 

 

 

馬場

 

 ⇒ 馬場の無料メルマガ

 ⇒ 馬場の日記

 ⇒ コンテンツ一覧