勢いよく「ダイエットを始める宣言」をしていたが、
気がつけば日常に戻っている人を見ると思わず可愛いと思ってしまう馬場です。(ノ∀\*)(アルアルですよねぇ。でも、一瞬、頑張っただけでも凄いと思います。(*´ω`*) )
いつも温かいお手紙を本当にありがとうございます。m(__)m
まずは今回のオススメをどうぞ♥️♪(*ノωノ)(28秒)
なんじゃこれ?笑 でも、可愛いからよし♥️ヽ(*´□`*)ッ
・・・さて、相変わらず突然で申し訳ないのですが、
あなたは「バーニングマン」なる奇妙なお祭りをご存知でしょうか?
(*・ω・*)
「ん?バーニングマン?全身燃える祭?🔥🔥🔥(っ´ω`c)」
「ん?バーニングマン?松岡修造のこと?🔥🔥🔥(っ´ω`c)」
などと思った人もいるとは思いますが(はい、過去の馬場です。笑)、
いやはや、このバーニングマンという祭は非常に奇妙かつ複雑な祭でして、
何より超面白い祭なんです。(*´艸`*)
ちなみに、Wikipediaさんではこんな感じの説明がされております。
(長いので面倒な人は飛ばしてOKです。(・・;))
バーニング・マンは、アメリカ北西部の人里離れた荒野で年に一度、約一週間に渡って開催される。各参加者は、この「プラーヤ」と呼ばれる何もない塩類平原(en)に街を作り上げ、新たに出会った隣人たちと共同生活を営み、そこで自分を表現しながら生き抜く。
そして一週間後、すべてを無に還す。
この実験的な地域社会はさながら都市の様相を呈し、みずからを「ブラックロック・シティ」(Black Rock City, BRC)と呼称している。
ブラックロック・シティは、直径2.4kmの大きな扇型の市街地と、中心部のオープンスペース、および周辺部からなる総面積約4.5平方キロメートルの五角形の街であり、
そこで会期中に生活する人々の数は約5万人ほどである
バーニング・マンという名称は、土曜日の深夜、街の象徴として場の中心に立ち続けていた人型の造形物「ザ・マン」(The Man)に火を放ち(burn)、それを完全に焼却することに由来する。
会場は、外部の世界から地形学的にほぼ遮断されており、電気、上下水道、電話、ガス、ガソリンスタンドなどの生活基盤は整備されておらず、一般のテレビ・ラジオ放送、携帯電話などもサービス提供範囲外となる。
売店や屋台、食堂なども一切ない。主催者側が用意するのは、自然環境保護のため必要とされる仮設トイレ群と食料の鮮度を維持するための氷のみである。
したがって、バーナー(参加者たちの自称。「燃やす者」の意)は、水、食料、衣類、住居、燃料など、自らの生存のため必要とするもの全てを、自らの責任において事前に準備しなければならない。
ブラックロック・シティの「市民」たる各参加者は、思い思いの場所に自らの手で設営したテントやキャンピングカーを家とし、他者と出会い、新規に友人を作り、交遊し、問題を解決し、コミュニティを形成する。
この劣悪な自然環境下で生きていくためには、おのずから隣人たちと助け合う必要に迫られるのである。
ここでは貨幣経済や商行為は忌むべきものとされており、明確に禁止されている。見返りを求めない「贈り物経済」(Gift economy)と、なによりも「親切なこころ」が共同体を成立させている(物々交換や、物とサービスの交換は推奨されていない)。
その広大な会場の各所には、参加者の手で大小多数のアート・インスタレーションが設置され、昼夜を問わず、会場の至るところで多種多様な活動が実行に移されている。
んー、少し難しいですな。汗
(読めば読むほどバーニングマンが分からなくなります。笑)
まぁ、要するに、ざっくりまとめますと、バーニングマンの要点は以下の通りです。(っ´ω`c)
- バーニングマンは資本主義や貨幣を否定している。
- 持ち物は持参。
- 商いや物々交換は禁止で、代わりに見返りを求めない贈り物はOK。(ここがややこしい。汗)
- 上の独特なルールに加えて基本的なインフラはないので、皆で協力しないと大変なことになる。汗
- 祭の間は様々な活動を行い、最終日に全ての物を燃やす。
(ここがバーニングマンの要素ですね。)
以上がバーニングマンの要点であり、参加者は必然的に互いに協力せざるをえないというのが面白いポイントでしょう。
(貨幣による取引ではなく、思いやりによる取引によってコミュニティを形成していくわけですね。)
ちなみに、バーニングマンの様子はこんな感じです。
ほー。 こんな感じかぁ~笑(っ´ω`c)
ふ~ん、中々楽しそうにしてるではないか。(´^`*)
へー。ほー。へー。(っ´ω`c)
「本当は混ざりたいくせに、ささいなプライドが邪魔になって素直になれないことってあるよね!💕」(モ、モウチョイ、モウチョイデミエソウデス。(っ´ω`c))
と、そんなバーニングマンなのですが、少し調べてみると非常に興味深い事実が浮かび上がってきました。
それは、バーニングマンでは、見返りに関係なく、
一番他者に様々なものを与えた人こそが最も他者から与えられるということです。
そして、この事実は、何も偽善だとか、綺麗事だけの話ではなく、論理的な理由からもそうならざるをえないのだそうです。
つまり、バーニングマンのような他者と協力せざるをえない環境下においては、人は周りを見渡し、
「どの人が一番信頼できるか?あるいは、どの人が自分の味方になってくれるのか?」
ということを第一に考えるそうです。
すると、そういった人達の視線は必然的に、周りの人、あるいは、
自分自身にどんどん与えてくれる人に集中する運命にあり、
そして、自分もその人に物を与えて好意や友情を示そうとするのだそうです。
ゆえに、最終的には、最も気前の良い人ほど最も多くのものを貰うことになるわけですね。
逆に、同様の理由で、他者に見返りばかりを要求したり、
他者のものを一方的に要求する人ほど貰うものが少ないという事実もまた面白いと思います。
もちろん、これはバーニングマンに集まっている人達の属性や環境の場合にのみ通用する事例であり、それが全て我々の世界にも通用するということではありません。汗
正直、この世はそんなに甘くはありません。汗
断言しますが、バーニングマンは「小規模なコミュニティ」かつ「資源が足りている」からこそ成立する仕組みであり、現実社会の状況とは大きく解離しています。
(ここは必ず指摘しておかねばならぬポイントだと思うのですが、あまり指摘している人がいないようです。汗 バーニングマンの美点ばかり話すのは誠実ではないと思います。)
だからこそ、現実社会は必然的に資本主義を採用し、今のような形に収まっているわけです。
(資本主義や貨幣の負の面ばかりを見るのはナンセンスです。
全てが理想・お花畑というのは単なる欺瞞です。
我々人類がようやくたどり着いた無難(最善ではないが、多少はマシな)な仕組みこそが資本主義であり、貨幣です。
最善ではないかもしれませんが、歴史を鑑みればその他あらゆる仕組みよりは次善(ベター)であることは間違いでしょう。それを全否定するのは穏やかではありません。汗)
しかし、バーニングマンで見られる「他者に多くを与える人ほど、多くを与えられる。」という法則は全ての場合とはいきませんが、
我々の生きる現実社会でも同様に有効である場合は無数に存在します。
(過去の馬場の記事でも何度も繰り返し主張していることです。)
そして、賢いあなたならばとっくに気づいているとは思いますが、
それはアフィリエイトなどのビジネスでも有効です。
よくアフィリエイトやビジネスをやたらと難しく説明しているコンサルタントさんや学者さんを見かけますが、別にアフィリエイトやビジネスはそこまで複雑なものではありません。汗
(馬場は経験からそういった数式や横文字を使いまくる人達の意見は無視することを学びました。なぜならば、それらの意見は本人ですら何も理解できていない場合がほとんどだからです。 まぁ、一定の需要があるならば別に良いとは思いますが、正直、現実ではまるで役に立ちません。汗)
お客様が価値・利益を得たと感じた場合に利益が発生する。
(※ 自分の主観的な評価は役に立ちません。自分が○○したから利益が発生するのではなく、お客様が価値や利益を得たと感じた場合にのみ利益が発生します。だからこそ、全てはお客様の心なのです。)
これがアフィリエイトやビジネスの基本構造です。
ゆえに、本当に自分がアフィリエイトやその他のビジネスにおいてお客様のためになることをしているならば、必ずそれに見合った報酬を受けとることになるのです。
(あなたが将来受けとる報酬=あなたがお客様に与えた価値です。実にシンプルであり、公平です。)
また、バーニングマンの場合と全く同じ論理でお客様はサービスや商品を評価する傾向にありますから、必然的に見返りを求めずに多くを与える人の元にはお客様が集まってきます。
(そして、それらを評価してくれたお客様は有料の商品にも興味を示してくれる可能性は非常に高いでしょう。)
ですので、アフィリエイトなどのビジネスで成功したいのであれば、
「何をすれば儲かるのか?」というギラギラした考えよりも、
「どうすればお客様は喜んでくれるのか?」、
「自分はお客様に何を提供できるのか?」という考えを採用していくことが重要になってくるわけです。
(本当にお客様を喜ばすことができたならば必ず利益は後からついてきますから心配ご無用です。)
そして、そういった意味では、バーニングマンとアフィリエイトの成功法則は非常に似ているのかもしれません・・・
もちろん、この事実をどう解釈するかは全てあなたの自由ですし、馬場は特定の価値観を押しつけるつもりはありません。
(※ 偽善や綺麗事ではなく、論理的かつ実践的に有効だからこそ馬場は紹介させていただきました。汗)
ただ、個人的な感想としましては、偽善や綺麗事に関係なく、
他者に多くを与えた人ほど成功しやすくなるという事実は本当に有難いことだなぁと心から思います。
(さもないと世の中は今以上にカオスだったはずです。汗
たぶん、北斗の拳みたいな世紀末的な世界だったのではないでしょうか?笑)
無論、厳しい現実においては、他者のためにした自分の努力や思いが無駄になることもあると思います。(それは本当に辛いことです。(`;ω;´))
しかし、幸いなことに、我々が今回の事実から学べることは、
我々が思わず「無駄だった」と感じてしまうような思いやりや努力そのものは決して無駄ではないということです。
あの努力も、思いも、苦しみも、決して、決して無駄ではないのです。
これからの道のりには、もちろん、嫌なことだって、失敗することだって、
無駄になる努力だって、理不尽なことだって無数にあるだろう。
でも、だからこそ、いつか、その日が来ることを信じて、、、不器用ながらに、少しずつ、少しずつ、泣きながらでもいいから頑張っていこう。
そう思った今日この頃です・・・
馬場
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